セイマスの3兄弟


 極寒の地、マスクヴァー。
 マスクヴァーの領主とも呼べる、強大な力を持った一家がいた。名門、セイマス家。

 代々この一家は軍の幹部を占めており、今いるセイマス家の兄弟も、長男トーマス、次男ヴァルディス、三男アンドリウスともに、国軍の中佐として、第一線で活躍していた。

 ――国が崩壊するまでは。



 一九八六年、ペレストロイカにより、共産党の一党独裁政権が終わりを迎えた。多くのソビエト連邦国民はこれによって救われたとも言える、歴史の一ページだ。しかしもちろん、都合の悪い者だって多い。幹部として活躍していてセイマス兄弟は、その後者の例外に漏れなかった。

 彼らはそれぞれ、西の地区の領主として、マスクヴァーを離れていた。しかし一九九〇年頃、独ソ不可侵条約の無効が宣言され、彼らが治めていた地区はソビエト連邦から独立してしまった。その結果、トーマスは現エストニアに、ヴァルディスは現ラトビア、アンドリウスは現リトアニアに取り残されることとなった。





 ソビエトの兵士だという理由で、ヴァルディスはラトビア共和国での裁判にかけられた。彼はソ連軍の幹部であり、ラトビア地区を占領していたと言っても過言ではない立場であった。

 彼はもはや、自分の命は助からないと考えていた。無理もない、ラトビアは現バルト三国で唯一、戦時死刑を廃止していない国だ。国民が彼に死刑を求めたとしても、何ら不思議ではない。

 しかし結論から書けば、彼に課せられたのは監視刑であった。日本でいえば、無期保護観察と言ったところだろうか。特に行動を制限されるわけではないが、唯一、国外への外出は禁止。いかなる時も誰かしら監視員がついていて、その行動の一つ一つをチェックされる、という刑罰だ。無論何か不審な行動が見られれば、即刻捕らえられてしまう。

 また彼には知らされていないが、死刑とならずにこのような軽い刑罰で済んだのは、ひとえにラトビアの発展に貢献したからだ。国際貿易で栄えた国であり、さらには独立後もロシア語しか喋れない元ソ連国民も多かったため、彼を死刑に処すことはできなかったのだ。

 というわけで、彼は国民から後ろ指を指されることも多々あったものの、ラトビアで安定した生活を送ることができたのだった。



 ある日彼の元に、三男のアンドリウスが訪ねてきた。

 アンドリウスはリトアニア国内で、英雄のような扱いを受けているらしい。バルト三国の中で最も早くソ連から独立したリトアニアの経済体制を抜本から変え、資本主義国家として一早く立て直した。

 そう言う意味では、三男はヴァルディスよりも身の振り方がうまかった。それまで従事していたソ連をあっさりと見限り、リトアニア国民としての生きる道に素早く転換したのだ。

 ヴァルディスは彼に自分の現状を伝え、住所を教え、手紙を書いてほしいと頼んだ。自分は他国に行くことはできないから。

 アンドリウスはこれから、タリンとマスクヴァーを訪ねるらしい。トーマスと、自分のいた家、国を見に行きたいそうだ。ついて行くことの叶わないヴァルディスは、良い報告を期待して彼を見送った。



 一月後、ヴィルニュスから手紙が届いた。差出人はアンドリウスだ。

 そこに書かれている内容を読んで、ヴァルディスは安堵した。彼の考えていた悪い事態には陥っていなかったからだ。

 長男のトーマスは、エストニア国内で彼と同じ状況に陥っているらしい。軟禁状態。しかし生活に困っていることはないそうで、元気に暮らしているらしい。

 マスクヴァーの家は、元老院の議長として彼らの父がまだ健在だそうだ。ソ連は崩壊したものの、新しく出来たロシア連邦の政治を担っているらしい。以前とは方向を転換し、国民の支持も得ているようだ。

 彼はさっそくトーマスとマスクヴァーの家にも手紙を送った。アンドリウスから聞いているとは思うが、自分はラトビアから出られはしないが、元気でやっている、と。心配しないでほしい、と。よかったら一度、遊びに来てほしい、と。

 それぞれから手紙が届くのは1年に1~2回と言った遅いペースではあったが、手紙を読む度に彼は心を落ち着かせた。




 元気に暮らしているとは言え、誰しも年齢に勝つことはできない。彼が七十歳を迎えた年に、弟アンドリウスの訃報を聞いた。リトアニアのみならずバルト三国でも名を馳せていた人物のニュースは、ラトビアにいた彼の元にも届いた。彼は裁判所に赴き、弟の葬儀に参加するべく、出国許可を請願した。

 監視員付きではあるが、その望みは叶えられることとなった。彼はすぐに、ヴィルニュスへと飛んだ。

 アンドリウスの葬儀には、たくさんの人が訪れていた。確かに弟は、自分とは違って、英雄扱いだったのだろう。

 しかしヴァルディスの脳内にはある疑問があった。いくら探しても、そこに父と兄の姿を見つけることはできなかったからだ。




 会場でヴァルディスは軍の古い友人と再会した。同じ幹部で、彼のみならずアンドリウスやトーマスとも親交があった。何度か家に招いたこともある。

 思い出話に花を咲かせ、近況を報告しつつ、ついに彼は気になっていたことを訊くことにした。何故、トーマスや父はこの場にいないのか。

 その問いに友人は渋い顔をしながらも、答えてくれた。

 長男のトーマスは、エストニアの独立後、処刑されたと。父はもうすでに病気で亡くなっていると。

 そんなはずがない。つい最近まで彼らとは、手紙をやり取りしていたのだ。そんなはずがない。

 しかしよくよく考えてみれば、父はもう百歳近い年齢である。まだ存命であることの方が不自然だ。

 その後も、友人は言葉を紡いだ。

 アンドリウスは、年に三度四度、国外へと行くことがあったらしい。彼のビザを見せてもらうと、出国先はロシアとエストニアが、交互に記されていた。



 そうしてすべてが繋がった。

 彼がなぜ、ヴァルディスの元には一度しか訪れず、ロシアとエストニアに何度も赴いたか。

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