不健康な人達 01


 良かった。今までみたいに戻れて良かった。不安で不安でたまらなかったけど、理想が現実になった。
 腕の傷はまだ治ってないけど、それも今の私を構成しているものだと思える。あなたの傷も、同じようなものだと思っている。
 

 隣の席の谷口七重から借りた古典のプリントの裏に書いてあったものだ。彼女からノートやプリントを借りると、しばしばこういう文字が見られる。
 彼女は、小説家になりたいらしい。授業中に構想を練り、断片的なものをノートやプリントに書き留めておくそうだ。以前、小説の内容をしっかり書かないのかと尋ねたら、学校で断片的に書いたものを家で直して書く、と答えた。そりゃぁそうだろう。せっせとシャーペンを忙しなく動かすよりも、パソコンに向かってキーボードをカタカタ打つほうが速いに決まってるもんな。
 俺はプリントの内容を自分のに写し終え、七重から借りた方をバインダーに挟んでリュックサックに入れた。明日に返す約束をしているからだ。今日の放課後に借りたときに、「明日、午前九時にさくら公園に来て。いつもの通り」と言われてしまった。というわけで、俺は明日の朝、いつもの通りにさくら公園に行かなくてはならない。別に苦ではない。月に二度か三度はこういう風に会っているのだ。女の子と二人きりで会ったりどこかへ出かけたりするというのは、決して悪い気はしない。
 

 谷口と初めて話したのは、高校二年になってからだ。
 進級したばかりの頃は、彼女の存在すら知らなかった。俺は中学からの友人である西原栄二とずっとツルんでいた。
 昔はそうでなかったのだが、高校に入ってからの俺は社交性に欠けていた。なんと言うか、途端に人付き合いが煩わしくなったのだ。よく女子生徒が何でもない話題でキャーキャー騒いでいたり休み時間に大人数でトイレに行ったりとかするのをよく見るが、ああいうのはどうかと思う。お前らそんなに群れていたいのか。そんなに孤独が嫌いなのか。
 俺は普段から騒がしいわけではないし、一人でトイレに行けない人間ではない。孤独は嫌いではない。だが、俺だってその女子生徒たちと同じような行動を取ってしまうこともある。孤独が嫌いというわけではないが、孤独と思われることが嫌だったのだ。俺だってクラスでずっと一人でいるようなヤツがいたら、アイツは友達がいないだとか根暗だとか、そんなことを考えてしまう。そういう風に思われるのは嫌だった。だから高校に入ってからはほぼ常に西原と一緒にいるようになった。中学からの知り合いで同じクラスになったのは彼だけであったし。
 二年でも西原と同じクラスになった。一年のときと同じように一緒にツルんで、バカな話をしたりしていた。別に西原と特別仲が良いというわけではなく、孤独だと周りから思われるのが嫌という理由からであった。仲が悪いということでもなかったが。まぁ、どこにでもあるような平凡な友情関係というやつだろう。
 ある日の放課後、俺は一人で教室に戻っていった。帰り道の途中で西原と別れ、忘れた傘を取りに行った。ただそれだけのことだ。
 教室に入ると、そこには一人の女子生徒がいた。席に着いて何かの文庫本を読んでいる。カバーがかかっていて、本のタイトルまでは分からなかった。
 まぁ結論から言ってしまえばその女子生徒が谷口七重だったわけだが、その時の俺はそんなこと知らなかった。そういえばこんなヤツも同じクラスにいたかな、程度の認識だ。まだろくにクラスメイトの名前も覚えていなかったし。いや、今でもろくに覚えてないかな。
 放課後に誰もいない教室で本を読んでいるその姿は、少し異様だった。わざわざ当番が掃除を終えるのを待って再び教室に入るのだろうか。それに、本を読むのなら別にここでなくても良いだろう。真っ直ぐ家に帰ればいい。俺にはその感覚がよく分からなかった。
 そういう風な不審な考えを持ちながら、その日は傘を持って、特に声も掛けずにさっさと帰ったのであった。
 谷口の名前を知ったのは翌日だ。昼休みに、何気なく西原に尋ねてみたのだ。  

「お前ああいうのが好みなの? 大人しいから乱暴し放題かもしれんが、ありゃぁ大人しいを通り越して根暗の域だぜ。やめとけやめとけ」  

 まぁ確かに顔は悪くない――むしろ整っている方だ――が、別に好みというわけではない。ただ単に気になったから訊いてみただけだ。乱暴だなんて、そんなことは考えつきもしなかった。俺はそんな邪まな人間ではない(はずだ)。
 昼休みなので、俺たちを含め大部分のクラスメイトは昼飯を食べている。弁当なりコンビニのパンなり各自それぞれのものを持ち寄り、数人でグループを形成して談笑している。
 が、そんな中、谷口は一人だった。既に食べ終わったのだろうか、スーパーのビニール袋が机の脇に掛かっている。そして黙々と文庫本を読んでいる。
 これは俺の思い込みかもしれないが、俺と谷口は似ているものがある、と感じた。前述の通り、俺は孤独を苦だとは感じない。ただ、孤独だと思われるのが嫌なだけだ。谷口はどうだろうか。彼女もおそらく孤独を苦だと感じてはいないだろう。現に昼休みという時間に一人でいるわけだし。
 だが明らかに俺と異なるのは、谷口は周りの目なんかお構いなしって感じだった。何でも西原の話に寄ると、進級した最初の頃は他の女子から話し掛けられたりしていたそうだ。だが谷口が自らそれらを一蹴するような言葉を放ったらしく、そして周りから見事に孤立したらしい。これではまるで自ら孤独を望んでいたみたいだ。一年の時もこれに同じ、だそうだ。ん? 西原、お前ずいぶんと詳しいな。
 何故だか俺は、谷口に話しかけてみようと思った。もうこれは魔が差したとしか思えない。理由なんて特になく、まぁこういう種の感情を持つことは誰にだってあることだろう。だが、今この場で話すには勇気が必要だった。俺は彼女より周囲の目を気にするタイプの人間なのだ。自ら孤独を望む人間に話し掛けるなんぞ、自分も同類と主張するようなものに思えたからだ。周りに誰もいなくなる時間、ということで俺は放課後を狙うことにした。


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