不健康な人達 07


「お前は一体何を考えているんだ?」

 谷口といくらか本音を出して話すうちに、他人の表情を読むということを覚えた。相手の口調、目線、そのようなものから相手が何を考えているのかが、何となくだが分かるようになってきた。確証はないが。

「一年の頃からそうだったか? 成績を見る限りではそんなでもないと思うんだが……」

 そして今俺の目の前にいる人物――担任の古林、世界史担当――の視線と口調から察するに……おそらく俺のことを蔑んでいるか、呆れているか、或いはその両方といったところか。

「二年になって急にやる気がなくなったのか? 五月病とかなのか?」

 職員室で、俺は古林と対峙していた。職員室に呼び出されたときは、基本的にロクなことがない。今までの俺の人生経験がそう物語っている。
 ちなみに俺が呼び出された経緯はこうだ。先日行われた中間試験。そのうちの世界史の科目で、俺は見事なまでに赤点を取ってみせた。三十点未満が赤点という基準で、点数が一桁しかないという見事な成績の悪さ。数学もできない歴史もできない、これじゃぁもう進学は絶望的だ。

「俺の教え方が気に入らないのか?」

 そうだ、その通りだよ。分かっているなら聞くな。別に他の教師が教えていたとしても良い成績を取れたとは限らないがな。

「期末で挽回しないと、夏休み中に補習とか、追試とか受けなきゃならなくなるぞ」

 そんなのは言われなくたって分かっている。いちいちうるさい。そんなこと召喚してまで言うようなことじゃないだろう。それともアレか? 呼び出して他の教師の前で羞恥心を晒させてやる気を煽ろうって魂胆なのか? だとしたら古林は相手に精神的苦痛を与えるための高等技術を持っているじゃないか。敵ながら天晴れだな。別に辱めを受けたくないが故に勉学に励むなんてことは、俺には有り得そうにないけどな。

「お前、他の教科でも赤点取ってるじゃないか。このまま行くと留年も考えられるぞ。もうちょっと気合い入れて勉強せんといかんぞ」

 あぁ、うるさい。うるさいよ古林。そんなに人に勉強させたいか。

「分かってるか? お前は一年のときはそんな成績悪くなかったんだから、やればできるはずだよ」

 分かってる、分かっているとも。

「急にどうした、五月病か? それとも俺たち教師に対するささやかな反抗か?」

 もう何も聞きたくない。できることなら耳のスイッチをオフにしたいぐらいだ。そんな嫌みをグチグチ言わないでくれ。

「なんでこんな悪い成績なんだ?」

 一体何回同じことを言うのだ、このバカ教師は。分かったよ、分かりましたよ。以後気をつけます。次からはちゃんと勉強して良い成績取れるように頑張りますよ。

「次からは気をつけるんだぞ。まぁ一学期の中間だし、挽回のチャンスはあるからな」

「分かったって言ってんだろ!!」

 あぁしまった、と思ったときは既に遅かった。後悔したところで遅い。職員室の空気が一瞬にして冷えた。いや、物理的にじゃなく雰囲気的に。
 俺は思わず、思っていたことをそのまま口にしてしまった。あぁ、やはり正直に生きていくのは辛い。やはり人間はいつだって正直者というわけにはいかないのだ。この国では黙秘権が認められているのだから、うまく行使できないと要領よく生活していけないな。まだまだ俺は徳を活用しきれていない。

「ん……急に、どうしたんだ?」

 古林の率直な疑問。そりゃそうだ、今までだんまりを決め込んでいた説教相手が、いきなり職員室中に響き渡るような大きな声で自分のことを罵っただからな。そりゃぁ冷や汗かいて怯んだりもするだろう。
 俺はこの後、このまま流れに任せて感情を爆発させてもよかった。いや、爆発させたほうがよかったのかもしれない。後々面倒なことになるかもしれないが、この場を取り繕うには最良だったのかもしれない。俺が健康的な精神を保つためにも。けれど俺にはそんなことできる勇気はなくて、ただただ謝るだけであった。自分だって今の言葉は心のうちに秘めておくべきだと思っている。口にしてしまったのは間違いだ。だから、すいません、ごめんなさい、そういう風に平謝りをするしかなかった。あぁ、情けないなぁ俺。けれどもこの選択は、きっと一般的高校生の利口な生き方なんだ。自分の身の程をわきまえて生活していかないといけないんだ。

「……まぁ、分かってるならいいんだ。今日は帰っていいぞ」

 失礼しますと言って軽く会釈し、俺は職員室を後にした。
 やはり俺は一高校生に過ぎないのだ。まだ十六歳のちっぽけな子供なのだ。社会のしがらみから抜け出すことなど不可能だ。怒鳴ってみたところで、古林に八つ当たりしたところで、何かが変わることなどないのだ。あぁ虚しい、虚しすぎるよ。
 人と付き合うのは、俺にはまだ難しいようだ。やはり俺の中に社交性という文字は見当たらない。


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