不健康な人達 08


 そのまま教室に戻り、そこにはいつものように谷口がいた。

「どうしたの?」

「説教された」

「なんで?」

「中間。世界史で赤点取っちまったからな」

「世界史だけじゃないくせに」

「言うな」

 谷口との会話も、ずいぶん弾むようになってきた。どこにでもあるような友達同士の会話と呼んでもおかしくないだろう。高校で知り合って、こんなに話せる相手は谷口が初めてだ。俺も以前に比べて、だいぶ明るくなったものだ。

「源内さんって、やっぱり頭悪いんだね」

 その言葉を聞くや否や、俺の顔は一気に高潮した。恥ずかしさと怒りがこみ上げてきたからだ。

「なんでその名前で俺を呼ぶんだよ。誰から聞いたんだ?」

 無論、俺は源内という名前ではない。似てもいない。

「さっき西原くんから聞いたの」

 コイツはいつの間に俺以外とも話せるようになったのか。ずいぶん明るくなったものだ。というか、西原は何くだらないことを話しているのか。そんなこという必要ないだろう。あいつも時々……いや、しょっちゅうだな、俺のことを源内さんと呼ぶが、腹立たしいことこの上ない。
 なんでも谷口の話に寄れば、西原に最初に話し掛けられたとき、俺に見せたのとまったく同じ態度を貫いたそうだ。そして西原は会話を成立させられない苛立たしさから、俺のことを話題に持ち出した。俺が旧友たちに、未だに源内と呼ばれることがあると。すると谷口はそれに食いつき、何故源内と呼ばれるのかまで訊いたそうだ。ちくしょう西原め、何話してくれてんだアノヤロウ。一体何故谷口に話しかけたりしたのだろう。というか谷口も何食いついてんだコノヤロウ。そんなに俺の生い立ちに惹かれたのか。

「で、どういう風に怒られたの?」

 俺はありのままを話してやった。グチグチと嫌みたらしく古林が言ってきたこと、俺がどう思ったか、思わず怒鳴ってしまったこと。包み隠さず話してやった。

「ふーん、なるほど……源内さんやっぱバカだね」

 まだ俺のことを源内と呼ぶのか。俺が呼ばれて嫌なのを知っていて言っているに違いない。谷口もずいぶんと性格悪いな。でも、ただ意地悪しているっていうような感じで言うから、まだいいか。親密になったような気がして、何だかくすぐったい気分だ。

「そう簡単に誰彼構わず本音をぶつけたりしてたらダメだよ? のちのち困ることになるのは今までの人生経験からも理解できるでしょ?」

 分かってるさ。だから言った直後にヤバいと思ったんだ。思ったところでもうどうにもならなかったけどさ。

「でも、そういうとこは人間味に溢れていていいなぁとは思うよ。羨ましい」

 羨ましいならお前もそうすればいいさ。人間は変われるものなんだ。現に俺はお前と話すようになってだいぶ変わったつもりだ。以前はただ毒づくだけの不干渉主義の立場の人間だったのに、こうしてお前と会話したりすることで精神状態が上向きになった気がする。お前だってそうだろう? 俺と話す前までは誰彼構わず尖った対応をしていたのに、西原とも話せるようになっただろ? 確かに人間急に変わるのは難しいけど、そういうのって意識の持ち様だと思うぜ。

「そうじゃなくて、何て言えばいいんだろうな……私は別にあなたみたいに感情を自分の内側で殺しているというわけじゃないの。うーん、そうだなぁ……私はきっと人に比べて、感情があまりないのよ」

 そんなことはないだろう。誰だって感情は持っているはずだ。お前だって他の人と同じように怒ったり楽しかったり、そういう風に感じるときがあるだろうよ。

「うん、理屈では理解できてるのよ。変なことを言われたら怒りを感じるとか、感動する話を聞いたら涙が出てくるとか、そういうことは分かるのよ。でも、私にはそれがあまりできないみたい。他の人に比べて多分感情の起伏が平坦なのよ。頭の片隅で、まるで自分が当事者じゃないみたいに、一歩引いた位置から冷めた目で客観的に見ている自分がいるの」

 それにはちょっと理解しかねる。俺はお前に比べたらずいぶんと感情豊かな人間だし。まぁでも小説家はそれぐらいでいいんじゃないか?
 一歩引いた目で見ることができるというのは、俺からすればだいぶ羨ましい。客観的に物事を判断し、第三者的な立場から言動を起こすことができるんだからな。器用に生きていくことができるだろう。俺も社交性に欠ける人物ではあるが、俺の場合は何でもかんでも自分が当事者のように物事を捉えてしまう。何にでも毒づき、俺への利害を第一に考えてしまう。悪質で狡猾で、あまり好かれそうにない性格の持ち主だ。まぁ自分でこの性格は好かれないと重々理解しているつもりなので、そういうのを全て隠して生きていくのだが。隠すのではなく元からないのであれば、それは俺の憧れだ。多重人格みたいで、意識して演じ分ける必要がなさそうだ。まぁでも本人にしか分からない悩みや辛さってのがあるんだろうな。ただ谷口の前ではあまり隠していない。何故だろうな、不思議なことだ。

「まぁ、それが個々のアイデンティティってもんなんだよ」

 谷口に向けて言った言葉だったが、どうやらこれは自分にもあてはまるみたいで、何となくむず痒い気持ちがした。


  ←前のページへ   次のページへ→

 戻る
Tweet