不健康な人達 13


 道中、俺たちはほとんど会話と呼べる会話をしなかった。時折交わされる言葉は、谷口の道案内とそれに答える俺の相槌ぐらいのもんだった。
 そうだ、思い出した。俺がバスケ部を辞めなかった理由。大してバスケが好きだったわけでもない、練習がきつくてあまり楽しい思い出のない部活、なのに三年間やり抜き通した理由。
 俺には二つ年上の兄がいた。いや、過去形じゃなくて今もいるんだけど。兄や姉をもつ人は分かってくれるかもしれないが、俺は兄と比較されるのが大嫌いだった。とにかく兄より上を行きたい、小学校の頃から常にそう思っていた。もっと小さかった頃は仲が良かったと記憶しているのだが、小学三年四年になる頃には、対立意識をはっきりと持っていた。
 俺は、子供ながらに頑張った。努力した。兄よりも劣っていると周囲に思われたくなかった。テストだって授業をちゃんと聞いて前日にはしっかり勉強して、百点を何度も取ってみせた。
 そして俺が小学五年に上がったとき、兄は中学に入学した。そして兄はテニス部に入部した。俺はそのことにとても驚いたのを覚えている。俺の知る限りの兄は、運動神経にはあまり恵まれている人間ではなかったはずだ。そしてそれを知り、俺も中学に上がったらテニス部に入ってやろうと考えていたのも覚えている。当時の俺の頭の中では、劣っていないイコール優れていると考えていたのだ。テニス部で兄より上達して、優越感にひたってやろうと思ったのだ。あぁ、我ながらなんて狡猾な少年なのだろうか。
 が、二ヶ月して兄は幽霊部員と化した。そして冬には正式に退部届を出したそうだ。なんて根性なしなんだ、堕落しているんだ、と心の中だけで毒づいた。俺だったらそんな途中で投げ出すことなんてしない、と勝手に比較していた。まだ子供で、今まで辛いことなんて片手で数えられるほどしか経験していない身分のくせに。いや、そんな身分だからこそ勝手なことを考えられたのかもしれない。
 だがある時、俺はある不安に襲われた。俺がテニス部に入ったら、幽霊部員の弟などと噂されたりしないだろうかと。小学から中学に上がるといっても、ほとんどが近所の人間だ。顔を知っている先輩なんて山ほどいる。そんな噂をされたら、俺はいてもたってもいられないだろう。俺は中学に上がってテニス部に入るという計画を、白紙にした。
 このような不安が頭に浮かんだのは、おそらく俺がそう考えるからだろう。例えば俺が中学で何かしらの部活に入っていて、友達が幽霊部員と化して辞めていった。そしてその弟が同じ部活に入ってくるものなら、俺は幽霊部員の弟が入ってきたと思うからだろう。自分がされるのは嫌なのに、他人には平気でそういうことをしてしまう人間だった。それで実在しない不安なんかに、振り回されたりしたのだ。
 バスケ部を辞めなかったのは、兄と同類にされたくなかったからだ。俺も兄と同じように運動神経に恵まれているタイプの人間ではなかったが、周囲からそう思われるのだけはゴメンだった。だがそれはどうしようもないくらいの事実なので、せめて兄のように途中でドロップアウトするのだけは避けようと強く決意したのだ。正直に言えば、練習がきつくて吐いたこともある。走っている途中に気を失ったこともある。その度に何度も、辞めようと考えた。しかしその度に、俺の頭の中に兄の姿が思い浮かぶのだった。運動をしないものだから、鍛えられずに身長だけ伸びた細身の体格。その兄が俺の言うのだった、お前と俺は兄弟だ、無理なんだ、諦めれば楽になるぞ、何をムキになっているんだ、と。それに意地になって対抗して、部活を辞めることはなかった。

 ただそれだけの、あまりきれいではない思い出……。


  ←前のページへ   次のページへ→

 戻る
Tweet