十二時を三十分ほど過ぎた頃に、俺たちは海に到着した。砂浜ではあるが海水浴場ではないので、人は俺たち以外には誰も見当たらない。
「わ、すご~い! きれいだね~」
谷口はずいぶんとご機嫌だった。労いの一言ぐらい俺にかけてくれたって良いのに、そんなことはまったくなくて、砂浜を走り出した。俺もその後を追いかける。
「ね、ここから東にずっと泳いでいったら、アメリカまで行けるかな?」
おや、ずいぶんとロマンチックなことを言うな。少なくとも俺の中では、お前はそんな乙女っぽいことを言うキャラではなかったな。いつもと違って、今日はやたらと明るいじゃないか。ちなみに言わせてもらうと、ここから東に泳いでもアメリカには着かないぞ。それはミラー図法の話であって、地球儀で見てみたらアメリカではなく、チリに着くんだ。まぁ、泳いでいくなんて不可能だがな。
「よく漫画とか小説とかでさ、瓶に手紙を入れて海に流すって聞くよね?」
ボトルレターか? 風船に手紙を括り付けるなんていうのも聞くな。
「ここからそれをやって放り投げたら、チリとかまで届いたりするのかな?」
ずいぶんとメルヘンなことを考えるもんだな。どうした、熱でもあるのか? それとも時期はずれの高校デビューか? だったら、今から一年と二ヶ月前にタイムスリップする必要性があるぜ。
「何言ってんのよ。私だっていろいろなことを日々考えているのよ。その日の気分や状況によって考える内容が違ってくるのは当然のことでしょ?」
それは一理あるな。俺だって考えがコロコロ変わる人間だしな。これが自分、というほどのアイデンティティを確立しているとは思えん。まだ十六だしな。
ボトルレターが大洋を渡るなんて、まず不可能だろう。俺たちの目の前でどこまでも広がっている太平洋は、何万キロ広がっているのかわからない。そんな距離を渡りきるなんて、どう考えても成功しない確率のほうが高い。それに、これから来るのは干潮じゃなくて満潮だ。放り投げた瓶は数時間後にここか、ここの近辺の砂浜に打ち上げられるのが関の山だろう。
「やってみなくちゃ分からないわよ。ほら、コレを見なさい」
谷口はハンドバッグから空き瓶を取り出した。コイツ、すでにボトルレターを用意してやがったのか。つーか、今日の目的はボトルレターを放り投げることだったのか?
「ちょっと気になってね」
「何て書いてあるんだ?」
「コレを拾った人は連絡をください、瓶の様子や見つけたときの驚きなどを教えてください、って。あとは私の連絡先を日本語と英語とスペイン語で書いておいたわ」
「スペイン語?」
「メキシコの公用語はスペイン語なのよ。幸い、私の姉は外国語大学のスペイン語学科に入学したから、教えてもらったの」
よかったな、偶然にもチリの公用語もスペイン語だ。この間地図帳で見たが、メキシコ以南の太平洋に接するアメリカ大陸の国の公用語は、どの国もスペイン語を採用しているぞ。もともとスペインの植民地だったのかもな。
「さ、投げて」
谷口は手紙の入った瓶を俺に手渡した。
「何故俺?」
「私じゃあまり遠くまで投げられないわ。あまり近いと、満潮で戻ってきちゃうんでしょ。だから、源内さんが思いっきり遠くに投げてよ」
わかったと短く言い、俺は数歩助走をつけてチリに向かって思いっきり瓶を投げた。
俺によって投げられた瓶は、ボチャンという音を立てて着水した。そして、その瓶は波に乗ることはなく、しばらくすると沈んでしまった。
「…………」
「…………」
瓶の沈むのを見届けた後、俺たちは沈黙したまま顔を見合わせた。
「…………」
「…………」
予想外の出来事だった。まさか瓶が沈むなんて。中には手紙しか入っていなかったはずなのに。俺は化学も物理も苦手だが、沈むなんてことは有り得ないということぐらいは理解している。この世界には確か浮力とかいうものが存在しているはずだ。
「……何で?」
「…………」
谷口に訊いたが、何も答えてくれない。
しばらくしてから、谷口はハンドバッグに腕を突っ込んだ。そして中を探り、手のひらに乗って余りあるほどの小さい何かを取り出して、俺に見せた。
「…………」
俺、絶句。
谷口が俺に見せたものは、どの角度から見たって、俺には瓶の蓋のように見えた。というか、瓶の蓋以外の何物でもなかった。
外れてしまっていたのに気づかなかったのか、それとも谷口がこういうオチを自分で用意していたのか、真相は不明だ。
「……そりゃぁ沈むわけだ。これで太平洋を渡ったらニュースになるね」
おそらく中の紙もふやけて文字なんて読めなくなっていることだろう。
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