「――……さん」
これは大問題だ。もしかしたら今頃板橋のヤロウは、俺と谷口が二人で一緒にいたということを周囲に話して回っているかもしれない。だとしたら、俺が予め辞めてくれと懇願した方がよかったのか? 百円ぐらいなら口止め料を払ってもよかったかもな。
「……てる? お~い……」
いや、そんなことをするわけにはいかない。もし俺が懇願して、『ふ~ん、谷口って言うんだ』なんて言われようものなら、自ら墓穴を掘ってしまうことになる。うん、言わないでおいて正解だった。雄弁は銀、沈黙は金だ。
「……てよ……の……」
けれど板橋はすでに、あの時俺と一緒にいたのは谷口だということを知っているかもしれない。もしかしたら、板橋は他の誰かと一緒にいて、そいつが谷口のことを知っていたかもしれない。そいつが他のヤツらに言いふらしている可能性だってある。無論、板橋だって黙っているとは限らない。アイツはお調子者だからな。それでなくても、人の噂に戸は立てられぬと昔の人も言ったように、広まるのも時間の問題だろう。あぁどうしよう。谷口と同じように孤独だと思われるなんて嫌だ。普段、クラスのヤツらから村八分みたいな目に遭うだなんて嫌だ。事実同類だけど、同類と思われるのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「……く? ちょっ……いて……」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
「嫌だ!」
「はあ? いきなり何言い出すのよ」
思わず声にしてしまった。そしてそれを聞いた相手、谷口はしかめ面をしてみせた。
「何が嫌だって言うのよ?」
俺は辺りをキョロキョロ見回し、誰もいないことを確認する。
「……いや、なんでもない」
少し冷静になろう、頭を冷やせ俺。クールダウンだ。脳味噌に直接コールドスプレーでもかけてしまえ。カチコチに凍らない程度にな。
「もう、私の言ったこと聞いてた?」
「いや、まったく。何を言っていたんだ?」
「はぁ……。あのね、明日ちょっと出かけたいの。明日は県民の日で休みだし、小説のネタというかそういうもので……」
おお、すっかり忘れていた。カレンダーは黒字だからな。だが、明日は確かに県民の日だった。この日は平日でも学校は休業になるのだ。
「その、折柿寺にさ」
折柿寺とは、県下でも相当大きいお寺だ。観光地としてもなかなかに有名で、正月には県外からもたくさんの客がやってくる。また、節分の時には寺の上から豆撒きをするなんてことでもニュースに取り上げられたりする。平安時代にナントカカントカという征夷大将軍の一人が建立したお寺らしい。小学生の頃に社会科で習ったような気がしないでもない。ここから自転車で十キロもないだろう。海に行ったのに比べたら大した労力も必要ない。
「明日九時、いつものようにさくら公園に集合ね。いいでしょ?」
よくない。全くよくない。また誰かに見られるもんならどうしてくれよう。どうすればいい?
「ダメだ……」
「え? 明日何か用事でもあるの?」
用事なんぞない。ただ、お前と一緒にどこかに行くのが嫌なのだ。空港に行ったときみたいに板橋や他の誰かに見られたら、良からぬ噂が一人歩きしてしまう。そうなってしまったら残り十八ヶ月の俺の高校生活はズタボロになってしまう。周りから非難めいた目で見られるのはゴメンだ。何故今までこのことを考慮に入れられなかったんだろう。
「その……明日はちょっとな。家の用事があるんだ……」
無論、嘘八百だ。ただ、普段谷口に向かっては嘘をつかない俺でも、今回ばかりは本当のことを言うわけにはいかない。何故なら、俺は誰からも嫌われたくはないからだ。差し障りのない生活を送りたいのだ。そして無論、谷口からも非難めいた考えを持たれたくないのだ。
「ん~、そっか……。じゃぁまた今度ね」
それきり、谷口は帰っていった。俺は谷口と一緒にならないようにしばらく教室で時間を潰してから帰宅した。
←前のページへ 次のページへ→
戻る