それ以外の出来事その三。
「暇ならちょっとお遣い頼まれてくれない?」
俺は母親に頼まれごとをされた。
たまたま気が向いたので、俺はそれを了承した。ふふ、俺は親孝行なんだ。お前とは違うんだぜ。
指令の内容は簡単、郵便局へお金を払いに行ってほしいとのことだ。何枚かの払込取扱表と金を渡され、俺は家を出た。何の料金なのかは興味が無いので聞かなかったし確かめなかった。
今日は空が曇っていて、太陽からの殺人的紫外線を浴びることもないだろう。暑くないし、たまには歩いて行ってみるか。まぁ十五分ぐらいで着くだろう。たまには明るい時間に外を出歩くというのも健康的だ。
などということを考えつつ、指令は難なくクリアーした。偶然あった自販機でペットボトルのジュースを買い、それを飲みながら俺は帰り道を歩いていた。
せっかく外に出たんだからと思い、俺は行きとは違う道で帰ることにした。まるで小学生だ。そう遠回りにもならない道を選んだから別に問題ないだろう。まぁたとえ帰りがお遅くなったとしても、俺も高校二年だ、親が心配することもないだろう。普段から深夜に平気でコンビニに行くような高校生だからな。親が頭を悩ませるのは兄のことだけで十分さ、俺に構うこともなかろう。
という流れであまり通らない道を歩いていると、ある公園が目に入った。この公園は何度か来たことがある。
さくら公園。谷口にバスケを披露した公園。谷口と待ち合わせる公園。
谷口が最初にここを指定したのは、家の近くだからだと言っていた。だとすると、俺は谷口の家の近所の辺りまで歩いてきたことになる。おお、なかなか歩いた気がするぜ。腕時計も携帯電話も持ってくるのを忘れたので、具体的にどのぐらいかはわからんが。
ここにいるとばったり谷口と会ってしまうかもと一瞬考えたが、それはあまりに低確率だろう。俺は少し歩き疲れていたし、公園のベンチに腰を下ろした。
意外なことに、公園には俺以外誰もいない。ブランコにも、ジャングルジムにも、バスケのミニコートにもだ。公園の敷地内にある、ベンチの真後ろの建物――谷口によると、ここでは地元の子供たちがそろばんを習っているらしい――も静かで、どうやら誰も居なさそうだ。夏休みの昼間なんだから、子供の一人や二人いてもおかしくはなかろうに。
俺は先程買ったジュースを飲みつつ、しばらくぼーっとしていた。こんなことをしていると、高校二年の男子としてちょっと考えられない行動かもしれないが、それでもいいさ。現代人には心のゆとりが必要なのさ、たまにはぼーっとしていてもいいじゃないか。願わくばこの時間よ永遠に、と思ったね。
だが、わかりきっていたことだがそんな時間が永遠に続くわけはないのだ。このぼーっとした俺の安らぎの時間は俺の予想よりもあまりにも早く打ち砕かれた。
空は暗かった。しまった、陽が落ちるまでぼーっとしていたかとも思ったが、いくら何でもそんなことないだろう。俺は小学生の頃は詰め込み教育の真っ只中だったのだ、そこまでゆとりを求めているわけもない。
空が暗かったのは、単純に雲が厚くなってきたからだ。家を出た時はそうでもなかったのだが、今では完全に黒い。雷雲だ。積乱雲だ。理科Bで習った。
近くで雨がしのげそうなところは、俺の真後ろにある建物ぐらいだ。だが、このそろばん屋敷(命名俺)の正面に回ってみると、鍵が掛かっていた。当たり前だろう。俺は入り口近くに立ち、ぎりぎり屋根のある位置に入った。そしてそれとほぼ同時に、雨が降り出した。まるで俺が雨をしのげる場所に行くのを、雲が待っていたみたいじゃないか。ちょっと感動したね。この調子なら、しばらくしたら雨は止んで、俺が帰れるようにしてくれるだろう。どうせこれは夕立だろうし。
雨が止むまで俺はすることがなく、再びぼーっと立ちつくしていた。どうせすぐ止むだろう、もうしばらくこうして待っているか。
俺はそろばん屋敷の玄関を背にして立っており、俺が向いている方向は公園の出口があり小さい道路につながっている。この公園、やたらと出口が多いな。まぁ三方向を道路で囲まれているしな。
道路を挟んで俺の目の前にある民家は、二階建てだ。あまり特徴の無い、どこにでもあるような家だ。ただ正面にあったために、俺の目にとまっただけだ。……俺の家よりかは大きいかな。まぁウチはおそらく相当小さい部類に入るので、この家が別に大きい家に分類されはしないだろう。どちらかといえば小さい方。
とまぁ、どうでもいいようなことを考えていた。他に考えるべきこともないしな。しいて言えば、雨が小降りになってきたぐらいだ。せっかくだ、完全に止むまで待とう。
が、その決意は瞬時に覆された。
何故かと言えば、俺の目の前にある家の二階、そこの窓を何者かが開けた。泥棒ではない、家の中から開けられたのだ。そしてその窓を開けた人物を視界に捉えた瞬間、俺は度肝を抜かれたね。
そこには、谷口七重がいた。
ここは谷口の家の近くだと言っていたが、まさか真正面だったとはね。低確率と思ったが、ゼロではない限りその現象は起こりうるのだ。数学なんてアテにならん。つーか、コイツは何故雨が降っている中窓を開けたのだろうか。いくら小降りとはいえ、今まで開けていなかったものをわざわざこのタイミングで開けるだなんて――通常ではありえないだろう。
そう、つまり彼女にとって今は通常ではなかったのだ。家の前で俺が雨宿りしてるんだからな、そりゃぁその立場なら誰だって窓を開けるだろう。そして――話し掛ける……?
「げ――」
源内さん、と彼女は言いかけたのだろう。だが、その声は残念ながら俺には届かないぜ。
何故なら聞く気がないからだ。俺は谷口を目撃した瞬間、走り出したからだ。小降りだし、ズブ濡れになることもないだろう。どうせすぐに止むさ。大事なのは、谷口から遠ざかること。
ここまでしなくてもよかったんじゃないか、と俺の中の良心が言ってきた。確かにあからさま過ぎたかもしれない。けどここで谷口と話していたら、それを誰かに目撃されてしまうかもしれない。確率なんてどんなに低くてもゼロじゃないかぎり、その現象は起こりうるのだ。確率というのは、そうか否かの常に二分の一なのだ。数学的には不正解だが、実際はそれで合っている。板橋が、もしくは他の誰かが俺と谷口が一緒にいるのを目撃するかもしれないのだ。それは今の俺には絶対にあってはならないこと。こうして俺の中の良心は、どこかに消え失せた。
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