兄は一拍置いて、語り始めた。
「俺は優しすぎた」
はぁ? まるで俺が冷酷な人間みたいな言い方してくれるじゃないか。……いや確かに自分でも冷酷な人間だとは思うけどな。
「俺が思うに、自分が冷酷でいられるというのは一種のステータスだと思うんだ」
えーと、体力とか魔力とか運とか、その欄に冷酷が並ぶってことか?
「そりゃぁゲームの話だろ。ん、まさかお前ステータスの意味知らないのか?」
と軽く馬鹿にされたのだが、腹が立ったのでここのやり取りは割愛させていただく。ちなみにステータスの意味は、その人の状態、能力、情報のようなものらしい(兄に言わせれば)。今度辞書で調べてみるか。
「まぁとにかく、冷酷さを持っている人間は有利だと俺は思うんだ」
そうか? 社会的に冷酷って言葉は良い意味で使われているとは思えないぜ。冷たくて残酷という言葉の略語なんだしな。
「確かに社会的には冷酷はあまり良い意味では使われない。どちらかと言えば負の属性を持つ言葉と言ってもいいだろう。けど、個人となると話は別だ」
何が別なんだよ?
「お前は冷酷だ、なんて面と向かって言われたら、やっぱり誰だっていい気はしないだろう。普通、冷酷は悪い意味でしか使わないからな」
だから、何が別なんだ? 誰がどう考えたって、冷酷はやっぱり悪い意味なんだろ?
「けど、それは他人を切り捨てられるということだろ?」
まぁ、考えようによってはな。だが他人を切り捨てるということもやっぱり悪いことだと俺には思えるが。
「そんなことはない。人間が大成するには、他者を蹴落として這い上がらなくてはいけないんだ。切り捨てるということは重要なことだ。お前もバスケ部だったからわかるだろ? 試合に出られるヤツがいれば、出られないヤツだっているんだ」
当たり前のことだ。監督だって言っていた、出られないヤツのためにもレギュラーは全力を尽くせと。
「それが切り捨てるということだ。受験だってそう、合格するやつがいれば落ちるやつもいる。お前が今まで無意識にやってきたことだ」
まぁ一見正論っぽいけどよ、それはどこか違う気がするんだよな。俺は確かに誰かの上に立って今の俺があるとは思うけど、切り捨ててきたというのは違ってないか? 俺は別に故意に特定の人物を蹴落とした覚えはないぜ。
「けど、それで蹴落とされた人間は多かれ少なかれ確実にいるんだ。人間は自分より下の立場存在する者がいると安心できる生き物だからな。だから江戸時代には穢多や非人なんていう身分が作られた。悪い、少し話が脱線した。そして今、そういう勝負の世界の話だけじゃなく、俺は社会的に切り捨てられた」
話がさっぱり読めない。
「お前だって学校で陰口を叩かれたことがあるかもしれない。まぁ、現に俺があったんだ。後ろ指を差されて笑われたり、変な噂をされたりな」
おお、奇しくも今の俺とまったく同じ状況じゃないか。思わぬところで兄弟は似るものだなと思ってしまったぜ。
「お前もなのか? やはり高校二年は大変な年頃なんだよな」
俺とお前がそうだからといって、全国の高校二年生の方を一括りにするのは違うと思うぞ。そうではない他の全国に分布する高校二年生の方々に謝罪したほうがいいんじゃないのか?
「……まぁ、そこで普通ならどうすると思う? つーか、お前はどうしている?」
嘘で塗り固められた会話……無意識に俺の中の別の人格が勝手にやってくれる。それでいて齟齬が発生しないんだから、人間の脳ってうまくできてるもんだよな。
「そんなのはお前だけだ!」
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