不健康な人達 48


「へ?」

「帰れって言ってるのよ。私の部屋から出てって!」

「え、いや……」

「いいから出てけって言ってるでしょ!」

 谷口は早口でそう言うと、立ち上がって机の一番上の引き出しを開けた。そして中からカッターナイフを取り出した。おいおい、マジかよ。

「もう出ていけ! アンタの顔なんてもう拝みたくないわ!」

 そう言いながら谷口はブンブンとカッターナイフを振り回した。危ない、危なすぎる。目を見ると、真っ赤になっていてうっすらと涙が滲んでいる。ああ、これはヤバイな。切られるわけにもいかないので、俺は部屋から出てドアを閉めた。
 閉まったドアを背にして座り込んだ。何やってんだろうな、俺。

「バカ……何で出ていっちゃうのよ……」

 出ていけと命じたのはお前なのにそんな理不尽な……なんてことを俺は言ったりはしないし思ったりもしない。

 谷口のすすり泣く声が小さく聞こえてくる。ドラマや映画だったらあの場面で出ていかずに、おそらく谷口のことを取り押さえるのだろう。そして何か気の利いた格好いい台詞を吐いて、事態を丸く収めるのだろう。やはり俺は情けない。谷口の家まで飛ばしてやって来ることはできたのに、凶器を振り回す谷口に立ち向かうだけの勇気はない。谷口を納得させるだけの語彙力もない。これじゃぁダメダメ人間だ。
 乱心の谷口をどうすることもできないまま、俺は座り込んだまま動かなかった。学校に戻るなり家に帰るなりいろいろな選択肢はあるのだが、この家から出てしまうともう何か取り返しのつかないことになるような気がするのだ。わざわざ学校を抜け出してまでここに来た意味がない。俺の背中を押してくれた兄と西原に申し訳が立たない。俺は一体どうするべきなのか。考えろ。考えろ。
 ずずっ、と鼻を啜る音が聞こえた。無論俺ではないので、部屋の中の谷口が発した音だろう。泣いているときは鼻も一緒に出てしまうもんな。

 しかしそれにしても不思議な気もする。先程谷口の顔を見た時は、うっすらと涙を浮かべている程度だった。ここまで派手に泣いてはいない。結果、俺が部屋を出てから本格的に泣き始めたのだろう。俺が格好よく取り押さえてくれなかったから、悲しんでいるんだろうな。
 ……いや待てよ。本当にそうなのだろうか。考えろ。考えろ。谷口が何故今泣き出した。アイツは何を持っていた。アイツは昨日リストカットをした。

「……おい、谷口!」

 俺はドアを開けた。最悪の事態を想定したからだ。


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