そして部屋の中では、俺が想定したのと寸分違わない光景が広がっていた。
「…………」
俺は思わず絶句した。
左腕に巻かれていた血で染められている包帯は、床に落ちていた。
谷口が振り回していたカッターナイフは、右手が握っている。
左手首の脈を測る辺りに、生々しい傷。
「谷口、大丈夫か!?」
「来ないで!」
谷口は泣きながら苦痛に顔を歪めつつも、俺のほうをきっと睨んでカッターナイフを向けた。が、ここでまた逃げ出すわけにはいかない。これはおそらく最後のチャンスだ。
「……痛くないのか? ほら、消毒してやるよ」
「来ないでって言ってるでしょ!」
谷口は完全にヒステリーを起こしている。左手首からダラダラと血を垂れ流しつつ、立ち上がってカッターナイフをこちらに向けて振り回してくる。はっきり言って、怖い。
けど、逃げちゃダメだ。谷口を助けるんだ。何のために俺はここに来たんだ。さっき頭によぎったドラマや映画の主人公になる瞬間なんだ。カッターの刃を避け、谷口の右手首を掴み、ナイフを取り上げる。そして何か気の利いた格好いい台詞の一つでも吐いてやるのだ。そんな台詞思いつきはしないけど、その時に何か思いつくはずさ。きっと。
「俺のせいだよな。ゴメンな、お前をここまで追い込んでしまって」
こういうときに相手を落ち着かせるために、何らかの言葉を掛けながら近寄るのがセオリーだと昔から相場が決まっている(と俺の中では思っている)。
「けど、とりあえず落ち着けって。お前がこれ以上傷ついて表情を歪めるのを、俺は見たくないんだ」
谷口の腕の動きが止まった。チャンスだ、今のうちに右手首を掴んで、
「本当に俺が悪かったよ。許してくれなんて言える義理じゃないのはわかってる……」
「違う!」
谷口がいきなり叫んだ。何が違うと言うのだろう。
「ぐっ……」
俺の右腕に鋭い痛みが走った。俺はチャンスだと思い、カッターナイフを持った谷口の右手首を掴もうとして右腕を差し出していたのだ。しかし谷口が叫びだすと同時に再びナイフを振り回し始めたので、俺はそれを回避することができずに怪我を負ってしまった。ここぞという場面で決まらない、やはり俺は格好悪い人間だ。
俺はドアを開けた。最悪の事態を想定したからだ。
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